本名:Michael Joseph Jackson (1958年8月29日生まれ、2009年6月25日没)
アメリカ合衆国インディアナ州ゲーリー出身で、シンガーソングライター、ダンサー、プロデューサーなど、活動は多岐にわたり、「キング・オブ・ポップ」と称される。
アフリカ系アメリカ人街の家庭に六男として生まれ、バンドメンバーであった父親から音楽を教わっていた兄たちに母の助言で加わるようになり、The Jackson 5が結成される。1967年、ニューヨークのアポロ・シアターにまで進出。そこではJames BrownやJackie Wilsonのパフォーマンスを生で学んだという。
1969年10月、「I Want You Back」でThe Jackson 5としてメジャーデビュー。デビュー曲でありながらいきなり全米チャート1位に登り詰めた。続く「ABC」ではThe Beatlesの「Let It Be」を首位から引き摺り下ろし再び1位になった。続く「The Love You Save」、「I'll Be There」もチャートを制し、デビュー早々4曲連続全米チャート1位という偉業を成し遂げた。
1971年10月、1stアルバム『Got to Be There』でソロデビュー。しかしこの頃The Jackson 5とMotownの方向性の違いが露呈。Marvin GayeやStevie Wonderが自身で作詞作曲、プロデュースする姿をみて自分にも同様の権利を求めたがMotownは拒否。結局自身の作曲を許されないまま、4枚のアルバムをリリースする。1975年、Epic Recordsに移籍し、The Jackson 5はJacksonsに改名。
1978年、ミュージカル映画『The Wiz』に出演したことをきっかけにQuincy Jonesに出会い、「誰か僕に合うプロデューサーはいないかな」と話したところQuincyが「私じゃ駄目かな」と答え、5thアルバム『Off the Wall』でタッグを組む。Quincy主導での制作だったが、Michaelの自作曲やアイデアも導入されており、このアルバムから真の意味でのMichael Jacksonのソロ活動が始まったと言っても過言ではない。4作のシングルが全米チャートトップ10に入るという史上初の快挙を成し遂げた。同年、ステージに鼻をぶつけて大怪我を負い、以後20年もの間整形を重ねるようになる。続く6thアルバム『Thriller』は2012年までに6500万枚のセールスを記録。ギネス・ワールド・レコーズに史上最も売れたアルバムとして認定され、その地位は不動のものとなっている。1984年末Victory Tourの終了を機にJacksonsを脱退。この頃から、父方の遺伝で尋常性白斑及び全身性エリテマトーデスを患い、1984年のペプシコーラのCMでの大火傷がさらに病の進行を早めた。1987年の7thアルバム『Bad』は、史上初めて全米チャート5曲連続1位という快挙を成し遂げ、日本ではMichael Jackson最大のヒットアルバムとなった。1991年には8thアルバム『Dangerous』をリリース。1993年1月には、テレビ番組で尋常性白斑を公表。8月、性的虐待疑惑が浮上。裁判が推定7年近くかかること、またMichaelが精神的に危険な状態にあったことなど音楽活動への多大な影響を懸念して和解。しかし和解を結んでしまったことで世間からは偏見の目を向けられ、後のマイケル・ジャクソン裁判(全件が無罪)まで尾を引くことになる。1995年には9thアルバム『HIStory: Past, Present and Future, Book I』をリリース、2001年には10thアルバム『Invincible』をリリース。これが最後のオリジナルアルバムになった。晩年はゴシップ報道に裁判、ソニーとの確執などに悩まされる一方で、慈善活動も精力的に続けていた。2009年6月25日、自宅にて心肺停止状態に至り死亡。晩年のMichaelは深刻な不眠に陥っており、治療を担当していた元主治医は催眠鎮静剤の不正使用したなど過失致死罪の有罪判決を受けている。
Micheal Jacksonの音域は4オクターブに及び、またその歌唱力を維持するための努力も欠かさず、will.i.amによるとMichealは5秒のパートをレコーディングするのに1時間のウォーミングアップを要し、広い声域を守る為普段から高音で話していたという。「Billie Jean」などで披露されるマイケルの代名詞とも言うべきムーンウォークはゲットーで踊る黒人少年からヒントを得たものである。「Smooth Criminal」中に披露される斜め45度に傾くパフォーマンス、ゼロ・グラヴィティでは特許を取得している。パントマイマーとしても知られ、「パントマイムの神様」と称されるMarcel Marceauは「Michealは生まれながらのパントマイム・アーティストだ」と語っていたという。また、衣装が会場の最後尾の観客にも見えるよう気を配っており、そのため衣装の多くはライトストーンで覆われている。ルーズソックスにもライトストーンが散りばめられていたが、ブッシュの高度な縫製技術を持ってしてもマイケルの激しいパフォーマンスには耐えられず、コンサート終盤にはライトストーンが落ちてしまったという。
2006年までに世界で7.5億枚以上のセールスを記録している。