2000年11月21日、Woodcut Recordsよりリリースされた1stアルバム。
1998年秋、フィンランド中部の街ユヴァスキュラで、Torment (Vo)とGrimort (G)によりバンドは結成された。メンバーを集め始め、同年中にJoni (Ds)が加入。しかし、翌年には早くもJoniは脱退してしまう。この他にもメンバーの加入脱退が短期間に行われ、メンバー固定が中々できないでいた。1999年春にHorgath (ホルガス、B)が加入し、メンバーの入れ替わりが落ち着き始める。その数か月後、Ruho (Key・Syn)とDraco (Ds)が加入、バンド体制が整う。
1999年9月3日にデモテープ『Slay and Burn』をレコーディング。このデモテープには、セッションギタリストのJuha (Lead G)が参加している。
デモテープのレコーディング後、地元で初めてのライヴを行うことになる。そのため、二人目のギタリストとして、アルガザンスのVeilroth (G)がバンドに参加していたが、アルガザンスとの両立が難しく、時間的な問題から正式メンバーとならず、ライヴ前に脱退している。その後、ライヴ数週間前になって、Nergal (G)が加入、ライヴをこなした。デモテープ『Slay and Burn』がきっかけとなり、フィンランド・ヴァーサのインディーズレコードレーベル、Woodcut Recordsと1999年末から2000年初頭の間に契約を交わす。
2000年2月に1stアルバムレコーディングのためにスタジオに入り、同年春にこの1stアルバム『Pure Satanic Blasphemy』をリリースしデビューする。このアルバムは、日本ではサウンドホリックのHIDDEN MANIACS SERIES第3弾として、輸入盤に帯・ライナーノーツが追加された形式で日本盤がリリースされた。同アルバムの日本盤は500枚限定出荷であった。
音楽性は、ブラストビートを信条とするMardukや初期mayhem、Impaled Nazareneと比較されるブルータルなブラックメタルになっている。また、ブルータルな一方で、キーボードを導入したメロディラインにも特徴があった。また、1stアルバムではDracoのドラムプレイ、特にブラストビートについて注目を受け、同アルバム日本盤のライナーノーツを書いた音楽ライターの後藤信哉は、同ライナーノーツで所属レーベル (Woodcut Records)に本当に人間が演奏しているのか問い合わせを行ったとを述べている。中でも「Kuolontoive」のツーバス速度は発表当時、リスナーの間で“全世界最速ではないのか”という話題にもなった。