前身バンド「摩天楼」のメンバーであったMana、Közi、KAIEが中心となり結成。
…が、KAIEはすぐに脱退。1994年7月24日、『memoire』がシリアルナンバー入り3000枚限定6曲入りでリリース、予約で完売。TETSU脱退後はしばらく休止するが、オーディションでGacktを獲得してからは活動を再開。演劇さながらの演出と完成度の高い楽曲で気付けばヴィジュアル四天王の一角としてメジャーデビューがまたれていた。
そんな中、1997年に日本コロムビアと契約しメジャーデビューを果たす。その楽曲やライブの完成度から一躍人気バンドに躍り出たが1998年7月28日の横浜アリーナ公演を最後にGacktが失踪、事実上脱退(後に自伝で他メンバー間との金銭感覚の相違をきっかけとした対立によるものと自白)。更にはKamiがくも膜下出血で急逝という悲劇に遭い、Klahaを発掘するまで3人体制での活動を余儀なくされる。日本コロムビアとの契約を切り、インディーズレーベルであるMidi:Nette M.†.Mを設立、自身初のインストシングル『再会の血と薔薇』をリリース。
サポートヴォーカリストとしてKlahaを招き、『白い肌に狂う愛と悲しみの輪舞』をリリース、2000年7月に正式メンバーとして紹介された。再び完成度の高い楽曲とライブが楽しめると思った矢先、メンバーそれぞれの自由な発想により各々の活動を展開しようという考えから2001年いっぱいをもちMALICE MIZER活動停止と発表。
★活動停止前メンバー★
◎Mana(Guitar, Synthesizer):現Moi dix Mois
◎Közi(Guitar, Synthesizer):EVE OF DESTINY傘下メンバー / ZIZメンバー
◎Yu~ki(Bass):アクセサリーブランド「Mother of Life」主宰
◎Klaha(Vocal):消息不明
●Kami(Drums):急逝
●TETSU(Vocal):本名名義でnil、THE BLACK COMET CLUB BAND、ソロなどで活動
●Gackt(Vocal):表記をGACKTに改め、ソロ活動継続中
●GAZ(Drums):DOVERMAN