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On the Border / EAGLES
ひょうすべ ★★★ (2022-11-14 07:39:14)
このアルバムでもロケンローである。
2ndが売れなかった。
バンドはこれをレコード会社とプロデューサーのせいとした。
確かに"Desperado"は、リンダ・ロンシュタットが歌ってヒットさせたしね。
そもそもコンセプトアルバムなんて言い出すから・・・
は、あっちの方に置いている(笑)。
後にグリン・ジョーンズも
「アーティストは売れれば自分のおかげ、売れなければプロデューサーのせい」
この時初めて経験したと語っている。
2ndが売れなかったことで、ますますゲフィンにとって“どうでも良いバンド”になった。
自身もアサイラムをワーナーへ売り、ワーナーの重役になっていたし、大御所ボブ・ディランのマネジメントを手掛け始めていた。
なので、配下のアーヴィング・エイゾフへEAGLESを丸投げした。
このアルバムも当初は、英国&グリン・ジョーンズで始まったものの、
最初から、もめにもめた。6週間かけて結局2曲しかレコーディングできず、曲作りの為、一旦米国へ戻ることになる。
それ以降は、英国に戻ることはなかった。(英国では遊べないもんね)
ね。EAGLESってロケンローでしょ(笑)。
米国に戻ったメンバーは、エイゾフにプロデューサーの交代を要求し、エイゾフが用意したのが、ビル・シムジク。
元海軍のソナーオペレーターで音楽未経験者だが、ジョー・ウォルシュやリック・デリンジャーを手がけていた。
潜水艦に乗り込みソ連の潜水艦を耳で探索していただけあって、音を聴き分けるのが抜群上手い。
このころから24トラック録音が出始めたこともあり、ビルの耳が重宝された。
そして、メンバーが満足いくよう、何テイクのレコーディングを許可した。
(実はグリン・ジョーンズは、結構威圧的だったらしい)
そのレコーディング中にスライドギターが必要となり、バーニーの友人だったドン・フェルダーに参加を要請。
フェルダーはそのままEAGLESに加入となる。(このアルバムでは2曲参加 ①"Already Gone"、⑨Good Day in Hell)
第2弾シングルの⑩"Best of My Love"。
ラジオ局で良くかかっていたため、シングルカット候補となったが、フライは大反対。
しかし、レコード会社が無許可で発売してしまった。
しかも、ちょっと長かったんで、ぶった切ったバージョンで・・・・。
ね。レコード会社はロケンローでしょ(笑)。
しかし、この曲がEAGLES初の全米№1ソングとなる。
英国&グリン・ジョーンズで録音された2曲のうちの1曲だったことは内緒だよ(笑)。
このアルバム。以降のロック路線の過渡期と評され、あまり評価されていないが、ひょうすべがEAGLESの全アルバムで一番好きなアルバムがこれ。
理由は・・・・判んない(笑)。
ね。ひょうすべもロケンローでしょ(笑)。
→同意