この曲を聴け!
氷室京介
NEELS ★★★ (2015-01-29 18:51:01)
僕の氷室さん&BOOWY初体験は「全曲BOOWY_LIVE」である『東日本大震災復興チャリティーライブ ~WE_ARE_DOWUN_BUT_NEVER_GIVE_UP~」の二日目でした。
僕の氷室さんのライブ体験の中で唯一参加できたライブであり、当日アリーナ席の最前列の真ん中で観ていました。
(後日そこからBOOWY30周年記念BESTの初回限定盤を買ってBOOWYファンになりました)
氷室さんのBOOWY全曲セルフカバーで「16」で僕は涙を流しながら大合唱したり・・・氷室さんが唄うパートを投げてファンにマイクを向けて大合唱させてくれたり・・・・。
一曲目の「Dream‘n」からエンジン全開で舞台を所狭しと駆けながら唄う姿は日本最高のフロントマンと呼ばれたソロの氷室さんであり、元BOOWYのフロントマンにも見えたり・・・・。
僕BOOWYを観ることが出来なかったんです。つまりBOOWYがデビュー~解散を観る前に生まれなかった・・・・。
BOOWYが解散した年に生まれた僕にとって氷室さんの「チャリティーライブ」は氷室さんのソロバンドマンとして初めて見た唯一のコンサートでした・・・・。
そのライブのDVDは氷室さんのライブ初体験の記念として今でも宝物にしています。
去年ライブ活動の「卒業」を宣言した時はBOOWYの解散宣言に似ていてとてもショックでした。。。
原因は聴覚の不調・・・・。最高の歌声を届けるためにイヤーモニターから耳にに流すバックバンドの音楽が耳に与えた影響で聴覚が落ちてしまい、「完璧なパフォーマンスをもうファンの皆に届けることが出来ないのが最大の理由だ」と知りました。
実は氷室さんの日本の音楽業界最大の功績があるのですがそれがBOOWYのフロントマン時代から「国内初のイヤモニを取り入れたミュージシャンの第一人者」だという事。
それが日本の音楽業界に強い影響を与えイヤモニがポピュラーになったというエピソードをBOOWYファンから聞いた時は凄いなぁ。ヤッパリ、BOOWY=氷室さんの影響力は凄かったんだなぁと。
氷室さんがレコーディングの拠点をアメリカに移した理由も好きで完璧な音楽をファンに届けるために最高のミュージシャンを起用するために移住したというのも凄いプロ根性に思えました。
氷室さんのボーカルはGLAYのTERUさんと同じくらい「天からの授かりもの」であり「誰にも真似できない唯一無二のモノ」であると思うんです。
氷室さんが今年のライブでの「卒業」は悲しいですが、これからも氷室さんを応援していきたいです・・・・。
いつか布袋さんが「最後にアイツの横でギターを弾きたい」と言う願いがかなって二人の共演の実現を願っています・・・・。
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