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GRAND FUNK

エガラー ★★ (2010-07-10 13:08:00)
伝説のアメリカンハードロックバンド、GRAND FUNK RAILROADは現在も活動を続けている、60年代末から70年代中半ごろまでの間、絶大な人気を誇ったバンドだ。やはり現在における評価の面ではLED ZEEPELINやDEEP PURPLE、BLACK SABATHなどと比べると残念ながら劣っていることは確かだが、その分黄金期の熱意が、伝わりにくい面もあるが、そこが伝説のバントといえるポイントかもしれない。
まずGRAND FUNK RAILROADの音楽性を説明すると、一般的によく言われているのが、アメリカ出身らしくシンプルながらダイナミックなハードロックサウンドが持ち味で、耳に響き渡るようなヘヴィネスなハードロックサウンドも聴かせてくれる。だがGRAND FUNK RAILROAD(GFR)の音楽性には前期と後期で振り分けられているので、ちなみに一般的なイメージは前期のGFR のもので、後期のGFRの音楽性はそれと少し(人によってはかなり)異なるが、それはあとで説明しよう。GRFの母体のバンドは65年に結成され、69年の初頭ごろにマーク ファーナー(G、Vo) ドン ブリュワー(Dr、Vo)メル サッチャー(B)のラインナップでバンドをGRAND FUNK RAILROADと名乗るようになり、ちなみにマネージャー兼専属プロデュサーには故テリー ナイトが迎えられた。この年の中半にレーベルと契約し、この年の秋ごろに1stアルバム[ON TIME」をリリースし、ダイナミックでヘヴィなハードロックサウンドが響き渡る本作は、全米チャート27位を記録し、その年の10月にはLED ZEEPELINのデトロイト公演にて前座を務めなんとZEEPELINを凌ぐほどの盛り上がりを見せ、ZEEPELINのマネージャー、ピーター グラントを焦らすほどだった。その勢いで翌年の70年には、ZEEPELINの2ndを髣髴させるかのような、ヘヴィなサウンドが特徴の2ndアルバム「GRAND FUNK」をリリースし前作を凌ぐセールスを記録し、5月には多彩な音楽性を見せ付けた3rdアルバム「CLOER TO HOME」をリリースし、これは全米6位のヒットとなり、この年の後半には初のLIVEアルバムをリリースし、こちらは全米5位を記録した。翌年の71年になっても勢いをとどまることはなく、4th、5thアルバムをリリースしいずれもTOP10入りしている。ところが72年になると、テリー ナイトのワンマン体制が原因でメンバーとの確執が表面化し、さらに金銭問題と訴訟沙汰にまで発展してしまい、結局テリー ナイトとは決別してしまう。しかしそれでも彼らは自力で前進し続け、この年の9月にはセルフプロディースで、6thアルバムをリリースし、全米7位となり彼らの自信のつながりとなり、さらにサポートメンバーであったクレイグ フロスト(key)を正式メンバーに迎え入れ、6thアルバムからが後期のGFRのはじまりといえる。翌年の73年にはプロデューサーをトッド ラングレンに委ね、ハードロック要素に大衆的なポップ要素を加えた7thアルバム「WERE AN AMERICAN BAND」をリリースし、なんと全米2位を記録し、シングルカットされたタイトルトラックはシングルチャート1位を記録するなど、前期ではシングルセールスの規模が小規模からせいぜい中規模ぐらいであったが、これ以降シングルセールスも大規模なものとなった。翌年の3月には再びトッド ラングレンをプロデュースで「8thのSHININ ON」をリリースし全米5位となり、シングルでは「THE LOCO-MOTION」がシングルチャート1位を記録し、タイトルトラックも11位を記録した。同年12月にはプロデューサーをジミー イエナーに委ね9thアルバムをリリースし全米10位とセールス的には落ちたものの、シングルの「BAD TIME」がシングルチャート4位を記録し、健在ぶりを見せた。翌年75年には全米、欧州、日本などのワールドツアーを行い、9月ごろには2作目のLIVEアルバムをリリースしたがセールス的にはいまひとつだったようだ。ところが76年初頭にリリースされた10thアルバムはセールス的に失敗、勢いを失ってしまった。原因としては8TH以降にポップ色が強まり、その反面、ハードロック色が弱まったことが原因といわれている。さらにこの年の後半、プロデューサーになんとフランク サッパを委ね11thをリリースしたもののさらにセールスは落ち込み76年末にGFRは解散した。その後も81年に再結成しアルバム2枚リリースしたが、83年再び解散。97年にマーク、ドン、メルの顔ぶれで再結成したものの99年にマークが脱退、しかしドンが中心となり他のメンバーを迎え入れ、活動を続行現在までに至っている。
話があまりには長くなりすぎたが、前期と後期のGFRの音楽性の違いをいうと、前期はさっき言ったとおりだが、シンプルながらダイナミック且つヘヴィなハードロックサウンドを聴かせたが、後期からは大衆的でポップな要素を打ち出したサウンドを聴かせた。また前期ではシングルセールスがアルバムセールスに見合わない成績だったが、後期では大規模なシングルセールスも記録するなど、大衆性を見せ付けることとなったが、アルバムセールスは前期の方がよかった声も多いようだ。ちなみに自分は後期派で、前期も決して悪くはないが、どちらかと言うと後期の方が興味深い。
ちなみに初期のGFRのマネージャー兼専属プロデューサーであったテリー ナイトはその後もこの業界でプロデュース等で活躍し続けたが、GFRの時のワンマン体制が祟ったのか?04年になんと暴漢に襲われ殺害されてしまい他界。R.I.P