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聖飢末に0点つけちゃったりする人
gen改めgen (2003-10-23 00:48:00)
聖飢魔Ⅱからちょっと離れますが、BURRN!創刊時の背景について軽く記します。
皆さんもBURRN!や評論家の方々に色々意見があるでしょうし、それぞれの主張があって当然です。そして、それは酒井氏にとっても全く同じだった訳で、当時ミュージック・ライフの編集者(確か副編集長)だった酒井氏は、HR/HMが一向に認められない日本の音楽シーンに頭に来て、それでBURRN!を創刊したのです。
もう少し説明すると、当時のミュージック・ライフ編集長女史は、それこそHR/HMを蔑視する傾向があったらしく誌面でHR/HMが大きく扱われることは殆んどなく、副編集長になった酒井氏が何とかページを確保してHR/HM関係の記事を載せていた、といった感じだったそうです。
日に日に鬱積する氏の感情と編集長女史との意見対立が重なって、ある日シンコー・ミュージック上層部に直訴した酒井氏に対して「じゃぁやってみろ」と許可が出て、そしてBURRN!は世に出ることになったのです。創刊からしばらくは表紙のBURRN!ロゴの上中央に「ミュージック・ライフ増刊バーン!」と更に小さなロゴ的なものが描いてありました。(それがいまや“バーン・コーポレーション"とひとつの会社になったのですから、グループ企業とはいえ氏の経営者的手腕は優れているのでしょう)
そして発刊されたBURRN!の方針、それは酒井氏本人が「自分で読みたいと思えるもの、自分で読んで楽しいもの」だったそうで、後日「極論を言えば、自分のために作っているから読者の気持ちは蚊帳の外」といったこともコラムにて述べていました。
創刊時、「日本には本格的なHR/HM雑誌が無く、よってイギリスやドイツなどのようにHR/HM文化が育たない。ならば自分で作ってしまえ」という気持ちだったそうで、イコールそれが方針だったわけです。そしてもうひとつ「決して業界に擦り寄らない」ことも方針のひとつで、そのせいもあってかなり業界からは叩かれたそうです。
それが、年月を経て発行部数が増え(=読者も増え)、それに伴って影響力も大きくなるようになると、氏の方針とは裏腹にBURRN!はどんどん肥大化していくことになります。読者層も年々変化し、「最近の読者は、自分が気に食わないと文句だけ言ってくる。全てが自分中心。仮に意見を聞いて雑誌に反映させてもまた文句を言われる。全ての人間を満足させる雑誌なんて不可能だし、そもそも自分の為に自分が楽しめる雑誌を作り、それに共感してくれる読者と言う構図だったのが、この時代には成り立たなくなってきた」と氏は年々疲弊し、それでBURRN!を広瀬氏に譲ったということです。
以後、氏のもうひとつの構想の“HR/HM文芸誌、読むHR/HM"といった論説がメインの写真もインタビューも殆んど無い「シンポジウムを読む、“炎"」が創刊されました。活字好きの私もどちらかというとBURRN!よりこっちの方がヒットした感じでしたが、これも時代の趨勢に押され廃刊になりました。
以上、記憶を紐解いて記しました。間違った記憶や記述もあるかと思いますが、それは気づかれた方に指摘・修正いただくとして、先にも述べましたが、どんなものにも「方針」があります。BURRN!にも酒井氏にも方針があって、その方針に則っている以上読者がとやかくいったところで、それは方針上正しいことなのです。
もっとも、政治政党の方針が必ずしも納得できる正しいものではないのと同じように、雑誌などの方針も全ての人において「正しい」と思えるものではないはずです。でも、方針が一致しない政党には投票しないことと同じく、受け手にも選択肢が用意されているわけですから、こちらが方針を見極めながら選択すればいい、と私は思います。とはいえその「方針」に対して「間違っている」ということも受け手の権利というか、当然のことなので、これはどれが良い悪いということではないですけれど。
…とエラソーに難しいことを述べましたが、音楽同様BURRN!も自分が気に入ればそれで良いし、気に入らなければそれでいい、ただそれだけだと思います。レヴュー0点の背景は、先にも色々述べられているように簡単ではないですが。
ところで、酒井氏はむかし芸能界に居たそうで、どこぞのバンドのキーボードかなんかだったそうです。氏が音楽業界にいた当時は、音楽業界=芸能界だったらしく、その業界のイヤなところがイヤになって辞めたそうです。
聖飢魔Ⅱネタのはずが、全く路線ずれてしまって申し訳ありません。せっかくの機会なので無駄知識として記しました。
あ、誤解の無い様にいっておくと、私は別に酒井氏擁護論者でもなんでもないですから、その点ご理解ください。事実だけを記したまでです。
→同意