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嗚呼、「正統派」とは何ぞや?
GIHALA (2003-03-09 10:50:00)
YOSIさんレスどうもです。
まあだいたい私のイメージもそんな感じだったんです。ようは「メロディアスでヘヴィーかつvoがちゃんと歌っている古くからある」形態なんだろうな、と。
そういう意味ではJUDAS PRIESTもIRON MAIDENも「正統派」とはみなされないと思うわけです。彼等は今呼ばれる所の「正統派」の手本となり大きな影響を与えましたが、彼等のスタイルは彼等が生み出した独特の個性溢れる物であるハズ。(そりゃあ先人の影響を全く受けずにゼロの状態から生み出したとは言いませんが。)だから彼等自身は「異端」であったとすら言えるんじゃなかろうか、と。
だいたい「正統派」っていう言葉自体、おかしいんじゃないかと思うんです。先に挙げた2バンドは、物凄く大雑把に言えば「それまでのハードロックをさらに過激化してヘヴィーメタルって物を確立した」というのが私の解釈であります。ある意味、ハードロック/へヴィーメタルの歴史って「過激化」の歴史じゃないかと。そもそも、LED ZEPPELINやDEEP PURPLEの登場時もそれまでにない大音響でヘヴィーに叩きつける様な過激なロックであったわけなのだから、このシーンが過激化する事は誕生時からの必然であったと思うのです。そういう意味ではSLAYERもPANTERAもデスメタルの誕生もごく自然な「正統的な」事だったんじゃないでしょうか。
「SLAYERもデスメタルもvoがメロディアスじゃないから正統派と呼ばれる筈が無い。」と言われるのが現代の一般的な解釈でしょう。そりゃあ、JUDAS PRIESTもIRON MAIDENも素晴らしい歌メロやギターフレーズを持っている事は事実です。だからと言って、あの時期にいきなりMETALLICAやSLAYERが出て来たらオカシな話ですよね。有り得ない。「メロディーが有る」という事は、意識的な物ではなくともロックとして当然の事だった時代に生きていたのですから。スラッシュメタルにしても「よし、メロディックな要素を排除して、へヴィネスとスピード面の強調を図ろう。」という作為が働いて出来たというよりは、「過激さ」を突き詰めた「正統な結果」としてそうなったのだと思います。
むしろ現代の正統派バンド達こそ、スラッシュもデスもモダンへヴィネスの存在を知っていながらも、「メロディー、ヘヴィー、スピード」という3要素のバランスを意識的に保持しているんじゃないでしょうか。
そういう意味で、「正統派」と呼ぶのは何か意味が違うんじゃないかな、と。例えば「3要素バランス派」とか「新古典主義」(ってこれじゃ訳したら「ネオクラシカル」になっちゃうな…。)なんて名前に変えるべきだとは言いませんが。
長々と駄文を失礼いたしました。
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