シングルとしては唯一となる初期メンバー全員によるナンバー。
この頃はまだ田中義剛が総合プロデューサー、つんくはサウンドプロデューサーであった。
リリース直前である1999年7月16日、自ら運転するオフロード車(四輪駆動車)の操作ミスが原因で柳原尋美が帰らぬ人となってしまった。
当初は(当時はローカルタレントによるインディーズシングルということもあり)北海道限定で販売されていたが、上述の悲劇が原因で売り切れが相次いでしまい、全国からも発売要望が強かったため、全国区での販売に踏み切った。結果、2万枚のセールスを記録。
本作では柳原のトラックをあさみのボーカルに差し替えたバージョンを採用している。