1973年頃、プログレッシヴバンド「マンドレイク」結成、ギタリスト(後にヴォーカル兼任)として参加。解散後はらヤマハのシンセサイザー教室の講師などを経てP-MODELリーダー兼ボーカリストとしてメジャーデビュー。1988年12月にはP-MODELを凍結し、アルバム『時空の水』にてソロデビューを果たす。平行して、ヤプーズ、島崎和歌子、宮村優子らに楽曲提供し、アニメ作品の音楽製作にも進出。1991年にはP-MODELを解凍。大気状態になることもあったが、2000年には「培養」のため、再度休止。
またこの頃よりタイのサオプラペーッソン(SP-2)に深い関心を示し、繰り返し現地を訪れ、レコーディング時にコーラスとして協力を仰いだり、ライブアクトとして招聘などをしたことがある。この事が後の作品に大きな影響を与えることとなった。特に親交の深かった9人のサオプラペーッソンを追悼するアルバム『SWITCHED-ON LOTUS』などにもその影響の大きさが出ていることがわかるだろう。
1999年よりメジャーレーベルからの離脱を宣言、WEB上、インディーズ、ライブでの活動へとシフトを移すことになる。2009年にはP-MODEL30周年、ソロ活動20周年を記念してのプロジェクトの一環としてTwitterを開始、自身があるキャラクターの元ネタとなったアニメ「けいおん!」のことを知っていたことが2ちゃんねらーなどのヲタクに衝撃を与え、馬の骨(所謂平沢ファン)が増加、フォロワー5万人を突破した。そのせいでマイナーで気持ち悪いミュージシャンを自称できなくなり、ステルスマイナーを自称するようになる。
余談だが、Talboに対する発言や、ライブ終盤のやり取りからわかるとおり、教科書に載せていいくらいのツンデレである。