「シャッターズ」のメンバーだったまこととしゅう、そのしゅうが掛け持ちしていた「RAM(乱)」に所属していたつんくとたいせー、「QP」のメンバーだったはたけの5人で結成。バンド名は各々が所属していたバンドの名前を寄せ集めていた。お笑いコンビ「おきゃんぴー」がいなかったらシャ乱Pになっていた。
1990年に大阪城公園にてストリートライブを開始。NHK「BSヤングバトル」第2回グランプリを受賞したことをきっかけに各種芸能事務所による争奪戦の上、現事務所への所属が決定。1992年メジャーデビュー後しばらくは鳴かず飛ばずの日々であったがシングル「上・京・物・語」がスマッシュヒットを記録。そして、「シングルベッド」がミリオンヒットを記録。ただし、つんくが「MBSヤングタウン」でパーソナリティーを務めていたせいでABC、OBCでは(ラジオ業界暗黙の了解により)オンエアできなかった。
1995年、「ズルい女」で大ブレイク。ようやくアルバムもミリオンを記録するなど、バンド全盛期を迎える。数々のヒット曲を作り続け、マルチに活動する最中、1997年にはASAYANにてプロデュース業に着手。はたけはそこで発掘した平家みちよをプロデュースしたが大成せず(つんくプロデュースに移行しても同様)。代わりにつんくプロデュースのモーニング娘。が大ブレイク。しかし、その頃にしゅうが未成年女性への暴行事件を起こし脱退。この影響により10周年記念ライブの後、活動を自粛。
「新・ラーメン大好き小池さんの唄」をリリースし活動再開するも、ソロ活動により音楽の方向性に違いが生じてしまったことから「休憩」と称した活動無期限休止を発表。以後、タレント名鑑ではバンドとしてではなくて個人名義での掲載となった。だが、2006年には活動を再開。2013年に「シングルベッド」をリメイク。だが、これがつんくにとってシャ乱Qのボーカリストとして最後の作品となってしまった。
2014年、つんく♂が喉頭がんを公表。2015年には声帯摘出手術を実施。これによりつんく♂ボーカルによるシャ乱Qは事実上のピリオドを迎えることになった。