2000年6月7日、EMIミュージック・ジャパンよりリリースされた2nd Album。
「忘却の空」のヒットの勢いに乗って、2ndアルバム『BABYLON』でオリコン初登場1位を獲得する。この時期がSADSにとってセールス上のピークであったと言える。
2000年後半から「BATTLE ROCKERS PART2~WELCOME TO MY BABYLON~」(全国46会場50公演)(以下、バビロンツアー)が行われた。同ツアーはこれまでと違いホール公演であり、そのステージではお経のSEを流し、清春がお香を焚くパフォーマンスなどこれまでとは打って変わってダークな色合いが濃くなってくる。また同ツアーには多大な費用を要したことで有名である。ステージ上で孵化する卵や、特に最終公演の大阪城ホールで清春が十字架に張り付けられながら歌い、曲中の電気処刑やSMショーなどのパフォーマンスをおこなった。
大阪公演ではノリの悪いオーディエンスに愛想を尽かし、アンコール半ばで公演を終了するなどバンドの雰囲気はどん底であった。
バビロンツアーの明るい材料と言えば、2000年初めのツアーからサポートとして参加していたベースの 小林勝が追加公演の大阪城ホールを以って、正式メンバーとして加入することが発表されたことくらいで、これまで交代を繰り返してきたベースがようやく固まることになった。
余談だが、『BABYLON』リリース時に一定の売り上げ枚数を越えた場合、SADSの広告宣伝料を増加する条件を東芝EMIサイドから提示されていた。結果的に、あと一歩のところで条件枚数に到達できなかったことを『清春35X』でのインタビューで語られている。また、チケットはほぼ完売で、グッズも順調に売れていたにもかかわらず、舞台セットに2億以上かけ、「予算組みを間違えてたが誰も気づかなかった」らしく、この頃個人事務所を立ち上げていた清春は自分でツアーの制作会社等への負債5,000万円を抱えることになった。「しばらくはライブをしても、そこが当日のチケットやグッズの売上をすべて持っていくという状況が続いた。いくらライブをしても僕自身はノーギャラだった(笑)」という。結局、当時のライブの利益で返済できたという。