1978年2月10日、Warner Bros. Recordsよりリリースされた1stアルバム。
Edward Lodewijk "Eddie" Van HalenとAlexander Arthur "Alex" Van HalenのVan Halen兄弟は、オランダのナイメーヘンに生まれる。クラリネット奏者だった父親の影響で、幼い頃からピアノやヴァイオリンなどのクラシック音楽を学んだ。アメリカのロサンゼルス近郊のパサデナへ一家で移住した頃にはロックンロールやポップ・ミュージックに興味を持ち、アレックスがギター、Eddieがドラムセットを手にする。しかし、Eddieがドラムセットの借金返済のために新聞配達をしていた間、Alexが勝手に叩いているうちにEddieよりも上達してしまい、お互いの楽器を交換し合うというエピソードが伝えられている。
その後、Van Halen兄弟はGenesisというバンドを結成。Trojan Rubber Company、The Broken Combsなどと名前を変えつつ活動を続ける。兄弟揃ってパサディナシティカレッジに入学すると、バンド名をMammothとして、対バンド仲間であり校内で人気を争っていたThe Red Ball JetsからDavid Lee Rothを引き抜く。MammothはPA機材をDaveから借りていたが、そのレンタル料が惜しくなっての引き抜きだったとも言われる。また、同じ学校の「スネイク」というバンドから、ヴォーカル兼ベーシストのMichael Anthonyを迎え入れ、Daveの提案によりバンドは名前をVan Halenと改める。ちなみにイギリスでは「ヴァン・ハーレン」、オランダ語では「ファン・ハーレン」と呼ぶ。
バンドはパサデナを中心に、ロサンゼルスやハリウッドなどのクラブでライヴを重ね、徐々に人気を集めていく。 この頃のレパートリーは、Deep PurpleやKiss、ZZ Top、Aerosmithなどのカヴァー曲を中心に、オリジナルを織り交ぜたものだった。
1976年、kissのGene Simmonsの資金援助を受け、デモテープを作るが、レコード会社は興味を示さなかった。1977年11月、レギュラー出演していたクラブに、Warner Bros. Records社長のMo Ostinと、プロデューサーのTed Templemanが突然現れバンドに契約書を渡し、24時間以内の契約を迫ると、バンドはその場で契約を決めた。
本作の多くの楽曲で炸裂した、Eddie Van Halenのライト・ハンド奏法は広く知れ渡った。インストゥルメンタル「Eruption」は、Eddieが個人練習で弾いていたフレーズを、プロデューサーのTed Templemanがたまたま耳にして、レコーディングすることになったという秘話があり、2009年に『Guitar World』誌が選出した50 Greatest guitar soloで2位にランク・イン。
1999年までにアメリカだけで1,000万枚以上を売上げており(RIAA:Diamond認定)、このセールスはバンドのアルバムの中でも『1984』に次ぐNo.2である。
Recorded:August 30– September 1977 at Sunset Sound Recorders, Hollywood
Producer:Ted Templeman